8月16日夜、夏の夜空にくっきりと浮かび上がる「五山送り火」は、祇園祭と並ぶ京都の夏を彩る伝統行事として全国的に有名です。
「五山送り火」は、左京区如意ヶ嶽の「大文字送り火」がもっともよく知られ、ほかに左京区松ケ崎にある西山・東山の「松ケ崎妙法送り火」、北区西賀茂にある妙見山の「船形万燈籠送り火」、北区大北山にある大文字山の「左大文字送り火」、そして右京区嵯峨鳥居本にある仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の「鳥居形松明送り火」があります。今はありませんが、江戸時代には左京区市原野の「い」、右京区鳴滝の「一」、西京区西山の「竹の先に鈴(雀という説も)」、右京区北嵯峨の「蛇」、右京区観音寺の「長刀」などもあったといわれています。
送り火とは、盆を締めくくる伝統行事で、迎え火によって現世に迎えた祖霊(お精霊さん)を再び浄土(死後の世界)に送るという意味があります。送り火が一般に広く行われるようになったのは、仏教が庶民の間に深く浸透した中世、とくに室町時代以降であるといわれています(林屋辰三郎 1960など)。歴史史料にあらわれるのは15世紀以降のことで、おそらく、江戸時代中期には現在の「五山送り火」が成立していたであろうと考えられます。 ただし、五つの送り火にはそれぞれの違った由緒が伝承されており、起源とされる時期も平安時代初期、鎌倉時代末期、室町時代中期、江戸時代初期などさまざまですが、同時代の記録は皆無に近く、すべて後世の人々による推測になります。
なぜ、「五山送り火」の発祥が同時代の記録にはあらわれてこないのでしょうか。それは、お盆行事全体に言えることですが、これらの一連の行事は祖霊信仰と仏教が結びついた宗教的行事であり、地元の人々の信仰によって始められ、受け継がれてきたものです。国家的・政治的なものではないため、公的な記録にとどめられなかったのではないかと考えられます。そして現在も「送り火」は、多くの人々に支えられながら、各山の地域住民の行事として受け継がれています。
なお、京都五山送り火は、昭和58年(1983)10月、「大文字送り火」・「松ケ崎妙法送り火」・「船形万燈籠送り火」・「左大文字送り火」・「鳥居形松明送り火」として、それぞれ京都市無形民俗文化財に登録されています。
毎年8月16日点火
(雨天、強風等の気象条件により時間が前後することがありますが、概ね各山とも上記時刻から約30分間灯される予定です)
行事の円滑な執行及び観覧者等の危険防止のため、送り火当日にドローン等無線操作による飛行物の使用はご遠慮いただきますようお願いします。
点火当日は、円滑な点火作業と危険防止のため、五山への登山は禁止となっております。
五山送り火の情緒を守るために、ネオン灯、屋外灯、広告灯などの一時消灯について、ご協力をお願いします。ただし、山科区及び伏見区を除きます。
※消灯時間:8月16日午後7時50分から午後8時50分までの1時間
河川増水時は、危険防止のため河川敷への立ち入りをしないでください。
本事業は,令和2年度文化芸術振興費補助金(地域文化財総合活用推進事業(地域無形文化遺産継承のための新しい生活様式支援事業))の助成を受けて令和3年度に実施する「コロナ禍における無形民俗文化財のための継承・保存・活性化事業」の一部です。
※当ホームページに掲載するすべての写真につきまして、転載・複製を禁止します。
Copyright © 京都五山送り火連合会 All Right Reserved.