鳥居形松明送り火の起源には諸説あり、確かなところは現在もわかっていません。
ここでは、起源にまつわるいくつかの説と、歴史史料に見られる記述を紹介します。
鳥居形松明送り火の起源については三つの説が伝えられています。
① 弘法大師が石仏千体を刻んでその開眼供養を営んだときに点火したことが始まりと伝えられていますが、信憑性は高くないと考えられています(林屋 1960)。
② 伏見稲荷大社から見える事から、稲荷大社のお灯明として焚かれたという説がありますが、これにも疑問が呈されています(田中 1957)。
③ 鳥居本が愛宕神社の参道であり、一の鳥居が建っていることから愛宕神社との関係を重視すべきではないかと考えられています(林屋 1960)。
創始が弘法大師の時代まで遡ると証明できる史料が無く、伏見稲荷大社に対する灯明という説も信憑性は高くありません。愛宕神社との関係についても、明治期の廃仏毀釈運動によって愛宕神社の神宮寺であった白雲寺が破却され、そこにあった多くの文献が焼失している(板垣 2002)などの理由で史料が少なく、明確な証拠は得られていません。
鳥居形松明送り火が歴史史料に初めて登場するのは、神沢貞幹(1710~1795)の随筆『翁草』で、絵画では洛外を取り扱った絵地図『洛外図』(1660年頃、個人蔵)です。この『洛外図』には、「大文字」「妙法」「船形」「鳥居形」の四つの送り火の図形(ここでは、左大文字は見当たりません)が「七月十六日山火」という記述と共に記載されています。一方で、鳥居形は他の送り火とは異なり、公家や僧侶の日記にはあまり出てきません。鳥居形は京の中心から西北に離れており、京の町からは見えなかったので書き漏らされたのではないかという推測もあります(田中 1957)。
8月16日午前8時ごろ、山の麓から山上の親火床(7箇所)へ松明が運ばれます。午後4時ごろ、再び山上へ上り親火床に使う薪を作り準備が行われます。午後6時ごろ、親火に点火し、松明に火がつかないよう注意しながら(これを「ジンをふかす」といいます)、午後8時20分の点火合図の太鼓の音を待ちます。
合図があると、それぞれの親火の火をあぶって油分が吹き出した松明に移し、一斉にその松明をもって走り、各火床に突き立てます。 あらかじめ各火床に点火資材が準備されていないために火を持って走ること、さらには油分を多く含む松材を使用するため赤みが強い炎であることが、ほかの四つの送り火と異なるところです。
鳥居形松明保存会
会員数 約45名
かつては、嵯峨鳥居本町の15歳から36歳までの若者で構成される青年団が担当していました(村上 2013)。現在は、その後継団体である鳥居形松明保存会が継承しています。
かつては地面にくいを打ち込み、これに青竹を結びつけて立てていましたが、現在は、鉄製受皿火床を山の斜面に埋め込んだものを使用しています。鉄製受皿の高さは約1mになります。
火床数:108基
松明(松の根の部分(ジン)を小割にして束にしたもの)を使用しています。
松明:108束
よくある質問をQ&A形式でまとめました。
Q:送り火当日は曼荼羅山に登れますか。
A:通年入山禁止です。
Q:ボランティアの受け入れはしていますか。
A:ボランティアの受け入れはしていません。
Q:護摩木志納の受付場所と時間を教えてください。
A:護摩木志納の受付については、トップページの「NEWS」に掲載いたしますので、ご確認ください。
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