京都市登録無形民俗文化財 鳥居形松明送り火は嵯峨の曼荼羅山に灯されます。 【鳥居形松明保存会】 火床所在地:京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町 |
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送り火の起源には諸説あり、確かなところは現在もわかっていません。 ここでは数ある諸説と言い伝えをご紹介します。 鳥居形の起源については、3説伝えられており、まず1つは、弘法大師が石仏千体をきざんでその開眼供養を営んだときに点火したことが始まりと伝えられています。2つ目に、伏見稲荷大社から見える事から、稲荷大社のお灯明として焚かれたという説。そして3つ目には、鳥居本が愛宕神社の参道であり、一の鳥居が建っていることから愛宕神社との関係を重視すべきではないかと考えられています。 しかしながら、創始を1100年以前まで遡ることは困難であり、鳥居形に関しては愛宕神社との関係が有力ではないかと考えられています。愛宕神社の標高が非常に高く、多湿な場所であり、明治期に多くの文献が焼失していることから、明確な証拠は得られていません。 鳥居形松明が文献上、初めて登場するのは、1772(安永元)年(1772)『翁草』で、絵画に登場するのは『洛外図』(1660(万治3)年)です。『洛外図』(個人蔵)には、「大文字」「妙法」「船形」「鳥居形」の4つ(ここでは、左大文字は見当たらない)が「七月十六日山火」という記述と共にはっきりと記載されています。 16日午前8時ごろ、山の麓から山上の親火床(7箇所)へ松明が運ばれます。午後4時ごろ、再び山上へ上り親火床に使う薪を作り準備が行われます。午後6時ごろ、親火に点火し、松明をあぶりながら(ジンをふかす)、燃えないように監視し、午後8時20分の点火合図の太鼓の音を待ちます。 合図があるとあらかじめ燃やしている親火のところで松明の火を移し、一斉に松明をもって走り、各火床に突き立てられます。 あらかじめ各火床に点火資材が準備されていないところは、ほかの4つの送り火と違う特異な部分です。 |
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以前は地面にくいを打ち込んでこれに青竹を結びつけて立てていたが、現在は、鉄製受け皿火床を山の斜面に埋め込んだものを使用。鉄製受皿の高さは約1メートル 薪は、松明(松の根の部分(ジン))を小割にして束にしたものを使用。 火床数:108基 薪数:108束
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良くある質問をQ&A形式でまとめました。 Q:送り火当日は曼荼羅山に登れますか。 A:基本的に通年入山は禁止となっております。 Q:ボランティアの受け入れはしていますか。 A:作業は保存会のみで行われボランティアの受け入れはしていません。 A:右京区嵯峨鳥居本小坂町 府道50号線 八体地蔵付近において、以下の日程で受け付けています。 |
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