船形万燈籠は、妙見山(通称船山)と呼ばれ、京都の北西、西賀茂に位置します。船山の南には、西方寺があり六斎念佛が行われます。

【船形万燈籠保存会】
所在地:京都市北区西賀茂船山
送り火の起源には諸説あり、確かなところは現在もわかっていません。
ここでは数ある諸説と言い伝えをご紹介します。

@船形万燈籠送り火の山の麓に西方寺というお寺があります。西方寺開祖の慈覚大師円仁が承和14年(847)唐留学の帰路暴風雨に合い、南無阿弥陀仏と名号を紙(船板という説もある)に書き、海中に投じて「四海泰平」と祈念されると、たちまち雨風が静まって無事帰国することが出来ました。故事に想起し、円仁は、西方寺のご本尊に船形光背を持つ阿弥陀如来を迎えその光背になぞらえた船を形どって万燈籠送り火をはじめたと伝えられています。

A延喜十年(910)に死者が数万人を超える疫病が蔓延した初盆の供養に行われ、東山の「大」に対して、「船」を「乗」と見做して「大乗仏教」をあらわしているとも伝えられています。

B各地の風習でも知られる、精霊舟で、藁や木で作った舟に水塔婆や供物をのせて流す「燈籠流し」の舟とも云われています。
俗にこの船形は精霊船と言われていますが、船の形ととらえた動機として、この円仁の故事が想起されたとしても、創始の時期を1100年以前に遡ることは困難で、やはりはっきりとした起源は、わかっておりません。

船形万燈籠では、現在3箇町55軒の旧家より18人の若中(17〜24・5歳の男子)、36人の中老及び年寄り約50人が送り火行事に携わっております。16日朝早くから若中18人、中老36人より、割木を山に運んで、点火の準備を行います。点火の合図には、鐘が打たれ火が灯されます。鐘による点火の合図は『山州名跡志』に登場しており、古くから鐘打山と呼ばれる山から点火の合図である鐘が打たれていました。しかし、現在は鐘打山がどこにあったかは不明となっており、現在は西方寺の北200〜300mのところで鐘が打たれています。
なお、送り火終了後、西方寺において住職の読経ならびに、西方寺六斎念仏保存会員による六斎念仏が行われます。


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火床の構造

以前は自然の山膚(山の斜面)の三方をコンクリートブロックで囲ったもの(高さ約30cm)であったが、昭和56年度から2ヵ年にわたって、火床改修工事を行い、昭和57年度から、山の斜面に石組みをし大谷石を設置した火床を使用している。

火床数:79箇所 薪数:500束 松葉:130束 
全体の大きさと各々の火床数
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良くある質問をQ&A形式でまとめました。


Q:送り火当日は船山に登れますか。
A:基本的に終日入山は禁止となっております。
  当日他、送り火準備のための作業中も入山禁止となっております。

Q:ボランティアの受け入れはしていますか。
A:船形万燈籠では、ボランティアの受け入れはしておりません。

Q:護摩木志納の受付場所と時間を教えてください。
A:西方寺門前において、以下の日程で受け付けます。

   8/3〜15(4、8日は除く) 午前8時〜午後4時頃
   8/16   午前8時〜午前10時頃

   いずれも無くなり次第終了となりますので、予めご了承ください。



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